Apathy

「人々の無関心は、常に攻撃者の利益になることを忘れてはいけない」

今日我々は知っている。
愛の反対は憎しみではない。
無関心である。
信頼の反対は傲慢ではない。
無関心である。
文化の反対は無知ではない。
無関心である。
芸術の反対は醜さではない。
無関心である。
平和の反対は、平和と戦争に対する無関心である。
無関心が悪なのである。
無関心は精神の牢獄であり、我々の魂の辱めなのだ。

ルーマニア出身の、アメリカのユダヤ人作家、ノーベル平和賞受賞者、エリ ヴィーゼル(エリエ ヴィーセル)氏の言葉です。

「愛の反対は憎しみではない。愛の反対は無関心である」

イギリスの新教育運動の教育家、「世界で一番自由な学校」として知られているサマーヒルスクール(Summerhill school)の創設者、A. S. ニール(Alexander Sutherland Neill)氏の言葉です。

「愛の反対は憎しみではありません。無関心です」

アグネス ゴンジャ ボヤジュさん(マザーテレサ)の言葉です。

無関心であること、苦しむ者に関わりを持たずに傍観者であることが、愛の対極にあると、、、

例えば、自宅のそばに障害者のための施設ができます。反対する人がいます。別にうつるわけでもないのに反対します。でも罪にはなりません。何で反対するのですか? 理由はひとつ。自分とこの子供に、障害がないから。

「無関心の罪」

人のことには無関心。

この世では罪にはならなくても、
あの世ではなる罪があるとしたら、
それは無関心の罪のことかもしれません。

この2〜3年の間に、ハワイから日本に一気に広まった「ホ オポノポノ」の創始者、モナ シメオナ(Morrnah Nalamaku Simeona)さんや、彼女の弟子、イハレアカラ ヒュー レン(Ihaleakala Hew Len)さんが言っている、ホ オポノポノの原理をご存知ですか?

ホ オポノポノは、「全責任を負う」ことを原理とする、ハワイに伝わる癒しの方法です。

「ある人が、人生の一切について責任を取るとは、その人が見て、聞きて、味わい、触れるすべてのことの責任を取ることである。そしてあらゆる経験は、その人の人生に存在するが故に、その人の責任が伴う」

さらに、

「全責任とは、万物が人間の内面からの投影として存在し、問題は外部世界の現実にあるのではなく、我々自身と共にあり、現実を変えるためには、我々はまず自らを変えねばならない」

と、説いています。

このことからも、無関心もまた自分の責任であることが分かります。各自の想念が全体をかたちづくっていることが分かりますよね。

これらをふまえた上で、「どの記憶が問題を引き起こしているのだろうか?」と、自らの記憶に向けて問いかけ、その後に、「ごめんなさい」、「許してください」、「ありがとう」、「愛しています」の言葉を繰り返してみると、今まで以上に広がりを感じる自分に気がつくことでしょう。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。